中学受験塾に通う生徒あるある「これは凡ミスだから」

週テスト(カリテなど)が返ってくると、多くのご家庭では間違い直しに追われることになります。(ならないほうがいいのですが)

「なんでこれ間違えたの?」
「凡ミス。」

そんな会話、思い当たりませんか?
決まって出てくるこの言葉、「凡ミス」って何?

特に小学生・中学生が当たり前のように使うこの「凡ミス」、結構やっかいです。

凡ミスの正体

小学生(主に中学受験生)が口にする「凡ミス」には、大きく以下のようなものがあります。

  • 計算間違い(単純なかけ算や引き算の間違い、など)
  • 計算の勘違い(たし算と引き算を間違えた、掛け算と割り算を逆にした、など)
  • 問題文の読み間違い(飛ばして読んだ、など)
  • 問題文の内容を勘違いしたまま解答した(思い込み…?)
  • 漢字で書くべきところをひらがなで書いた
  • 答えは分かったけど抜き出すところが見つからなかった
  • 解答欄の場所を間違えた(…あるあるです)

これらはほんの一例です。

「凡ミス」を詳細に分析すると、さらに多くのパターンが出てきますが、書ききれないので「個別」扱いにしておきます。

凡ミスで家庭内戦争が勃発?

 さて、こうした「凡ミス」を繰り返してしまうと、当然ながら「分かってる(はず)」なのに、間違える。いつまでたっても違う種類(に見える)「凡ミス」が発生して、また点数が伸びない。

 こうして、点数が上がらず、クラスが変わらず、偏差値も伸びず、志望校判定が芳しくない状態が続くと、ついには家庭内で戦争がはじまります。

「凡ミスしないように集中して取り組みなさい!(精神論)」
「集中してるもん!」
「じゃあ凡ミスをなくす努力をして!(根性論)」
「目標:凡ミスをなくす!(抽象的な結論)」
「なくなってないでしょ!」
「だって凡ミスは仕方ないもん!」
(以下ループ)
「いいからもう勉強しなさい!(解決の放棄)」

 これでは何も改善しないのは当たり前です。でも、目先の新しい単元や苦手分野の対応に追われると、また「凡ミス対策」をすることがすっぽり抜け落ちてしまいます。
 結果、テスト前に「凡ミスしないように気を付けてね(精神論)」「問題文読む!注意する!がんばる!(抽象論)」という会話が玄関で交わされることになります。

精神論・根性論では解決しない理由

 子どもが「凡ミス」をしてしまう理由は、単なる気の緩みや集中力の欠如ではありません。頑張っていないわけでもなく、注意していないわけでもありません。
 「凡ミス」の正体の代表例は、次のような根本的な原因が潜んでいることがほとんどです。

  • 計算力の不足:基本的な計算が「100回やって100回できる」当たり前のレベルになっていない。
  • 読解力の不足:問題文を読み違えたり、条件を見落としたりする。読解力不足(他の科目に原因がある)
  • プレッシャーや焦り:テストの緊張感。「ミスしてはいけない(精神論)」というのが逆効果になる。

 これらは、決して「凡」ではなく、根本的な対策を講じていないことから生じるもので、子どもに非はありません。むしろ、その「凡ミス」を減らすメソッドを持っていない、あるいはそこにフォーカスした対策をしていない指導者の責任によるものです。
 もちろん、計算練習はしているでしょうが、「凡ミスを減らすための計算練習」はどんな問題か、答えられる人はほとんどいないでしょうし、それを実践している塾は存在しません。

凡ミスを減らすには?

 人間だれしも不注意は生じるものですので、凡ミスを完全になくすことは難しいです。ただ、極限まで「減らす」ことは十分可能です。
 仕事で「ミスをしない」「安全第一!」と精神論を振りかざすのは昭和の時代に置いてきたはずです。「ミスを生じさせるような状況にしない」ための「準備・手順・確認手段・フェールセーフ」を設計し、「ミスをしない」という抽象的な意識でない、「目の前のことができてさえいれば、ミスにはならない」というシステムによる事故の予防をするのが当然のはずです。
 それがなぜか、こと勉強になると「ケアレスミスをなくしなさい!」「凡ミスをなくしなさい!」という、昭和の時代に置いてきたはずのものが再登場してしまうのです。

 じゃあ、勉強、特にテストにおいて「凡ミス」をなくすにはどうしたらいい?
  『気合いだー!』は昭和においてきたやつなのでダメ、絶対。笑

「凡ミス」の生息地を探せ

 理科・算数の「凡ミス」のほとんどは、何も難しいところや細心の単元・苦手単元で生じているのではありません。そういった「難しいこと」で間違えているなら、それは「苦手」「難しい」という方向で対策されているでしょう。
 そうじゃない。

 「凡ミス」で最も多い目立つのは、「写し間違い」「自分で書いた字の読み間違い」です。

 本当!?
と思われた方は、お子さんの問題用紙を見てください。

  • 筆算がぐちゃぐちゃでどこに何が書いてあるか分からない。
  • 「0」なのか「6」なのか分からない。
  • 問題文では「6」なのに、計算式ではなぜか「9」になっている。
  • 線分図の線がぐにゃぐにゃで線分図以前に「線」の体をなしていない。

 …あると思います(古い…)

計算であれば

  • くり上がり、繰り下がり(小学1年)
  • かけ算、2けたの足し算引き算(小学2年)
  • 九九、かけ算(小学3年)
  • 割り算(小学3年)

など、なんなら受験勉強を始めるより前に学校でさんざん宿題に出された「アレ」で生じています。

 なるほど!怒りが湧いてきて
「あんた、なんで小2の計算で間違うの!今まで何やってきたの!」
 …ダメ、絶対。

「凡ミス」はミスじゃない。そもそも練習していない。

 「凡ミス」は、計算なら小学校高学年に「小学校低学年にやったことそのもの」を徹底的に反復練習していないこと、それゆえに生じるものです。

 写し間違いなら、「上に書いてある文字を下に写す」、小学校の「書写」でやったことが「当たり前になる」まで訓練していないからです。

 その訓練を塾でやりましたか?何かの教材でやりましたか?

 やっていたら、「凡ミス」は生じないはずです。やっていて生じるなら、それは、やっている対策や練習が的を得ていないだけのことです。

じゃあ、どんな練習をどういうふうにすればいい?

算数の「凡ミス」の一例

 算数であれば、「複数の計算が混合されていない、シンプルな計算」をやりましょう。大量に、速く、正確に。最初は速さが正義です。量をこなしてなんぼのものなので、速さが上がらないといつまでも攻略できません。
 計算が遅いなら、そもそもそれは塾でやるような繁雑な計算ではない、単純計算をもっともっと積み重ねるべきです。

  • 単純な2桁+2桁の足し算:小学校2年生で練習したもの。
  • 3桁÷1桁の割り算:小学校3年生で練習したもの。

など、受験生にとっては「当たり前」になってるもので、それ単体なら「できる」ものを100回中100回できるようにしてください。問題の数字は毎回違うものにしてください。

 朝の一行計算が悪いとは言いませんが、それより、この「当たり前にできる」、なんなら「寝ぼけててほぼ寝てる状態でも正解できる」問題を100回中100回正解できるようにして練習してください。この方がよっぽど成績が上がります。(言っちゃった…笑)

つまり、

  • シンプルな計算練習を徹底する:2桁+2桁の足し算や3桁÷1桁の割り算など、基礎的な計算を大量に、速く、正確に処理する訓練をする。
    なんなら疲れているとき、寝起きで頭が働いていないときにやるくらいがちょうどいいです。
  • ミスを気にしない:凡ミスがあるということは、その「簡単すぎるもの」でミスをしているはずです。
    ミスがあって当たり前。ミスがなくなるまで練習すればいいだけのことです。
  • 毎日でなくても良く、一気に取り組む時間を確保:こういう訓練は毎日の継続が、なんて言いません。
    毎日できればよいですが、ある程度凡ミスの正体が明確であるなら(例えば繰りあがりで間違うことが多い、など)、1週間など期間を区切って短期間集中で一つ一つの「凡ミスの種」を潰していくほうが効果的です。
    一種の苦手潰しみたいなものです。
  • 凡ミスの傾向に合わせた練習をする生徒それぞれの特性に応じた問題を反射的に正解できるようにする。
    これが一番難しいですね。
     凡ミスの分析には答案をどれだけ見てきたか、凡ミスのパターンをどれだけ体系的に把握しているか、その原因はどの学年のどこの指導内容なのか。
     わかる人はそういないでしょう。ある程度経験のある塾の先生なら「ある程度」の指摘はできるかもしれませんが「計算ミスですね」「問題文をちゃんと読んでいないですね」程度で終わっているようではお話になりません。

     その凡ミスは、教科書のどの単元のどの例題の練習不足なのか、ピンポイントで指摘できますか?
     なんなら文科省の「教育指導要領」の「小学2年の〇〇の項目の2(A)に該当するところに原因がある」と特定できますか?

凡ミスを潰すことは、病気の治療と同じ

 病院で「お腹が痛いです」=問題として「間違った」
 先生による「問診・検査」=原因の探究
 「ここの炎症が原因なので、『この薬』を『7日間』、飲んでみましょう」=原因の特定と「処置手段の選択」「処置手法の明示」=何の問題練習を、どれくらいやればいいか
 「また来週診察に来てください」=改善状況に応じて治癒・治療継続・方針変更などの判断をする=いつまでやるか、問題の種類を変えるか、そのままか、もっとスモールステップに刻んで練習するか、など

病気は専門医に見てもらいましょう。早期診断、早期発見、早期治療。笑

 単純な「計算ミス」の克服は、その「根本原因」を「診断して特定できる」能力と経験がないと、何をやっていいか分からないままになるのが当たり前です。

 このように「凡ミス」を診断する時点で、100人いたら100通りの治療方法でないと意味がないことは明らかです。
  「みんなでこれをやりましょう」
  「この問題集をやれば解決します」(しないとは言いませんが非効率です。「お腹が痛いです」「寝て休んでおけばいいでしょ」みたいなもの。)
 なんて治療方法として迂遠であるか、場合によっては不適切ですらあります。

 これを個別に、具体的に、明確に、徹底的につぶすのが「凡ミス」という難敵攻略の糸口です。

 でも、これをするには何が必要でしょうか。

  • ミスの原因を「診断できる」能力と経験があること
    =小学校1年生や2年生で何を学習したか分かっていないと「診断」しようがありません。全教科、とは言いませんが、せめて指導教科については全学年の指導内容くらい把握していないと小那覇氏にならないでしょう。教科書の単元と例題、なんならその前後の「思い出し」や「発展的思考」の知能の発達プロセスまでわかっていて、やっと「診断できるかどうか」でしょう。
  • 「診断」して「原因」を特定する能力と経験があること。
    =教科書の単元と例題、なんならその前後の「思い出し」や「発展的思考」の知能の発達プロセスまでわかっていて、やっと「診断できるかどうか」でしょう。「例題」レベルまで特定して、ようやく凡ミスの「原因特定」です。
  • 「原因」を「治療する」ための「治療法」を持っていること。
    =「繰り上がり」のときは「10を作る」と小学校で教えることを理解していますか?それも知らずに「足し算の繰り上がり」という「凡ミス」の「治療」などできません。やっていることは、「なんとなくの経験則からして…」という程度の藪医者レベルの真似事です。
  • 「治療法」に対応する「適切な処方」ができること。
    =原因がわかったら、その「凡ミス」をなくす練習が必要です。その教材は?100人いたら100通りの教材です。市販のものでは問題集1冊の中に数問あるかどうかのところに「原因」があります。
     その数問を繰り返しても、答えを覚えて終わります。
    そうじゃない。
     その「数問」と「全く同じ思考経路を使うが数値が違うから毎回『頭の処理プロセス』を起動させる」問題を、せめて100問くらい簡単に作れてなんぼ、です。だって、1日20問として5日分は100問。これでやっと5日分の処方ができる、だけです。
     本当はもっともっと多く、なんならその前後の例題や類題との違いも認識する練習を組み込めば、単なる「治療」のはずが、なんなら「病気前より元気になった」結果になります。
     そうじゃないと、もったいない。

 …「問題が解ける」「問題の解き方を教えられる」レベルの指導者ではお話になりませんね。

こういうときにこそ「プロの力」を借りてください。

自分でも、家庭でも、無理

 …と、ここまで厳しい一般論を述べてきましたが、実際に生徒が自分自身で原因を特定し、対策を講じるのは非常に難しいです。というか無理です。断言します。

 さらに、ご家庭だけで対応するには「単元」をまたいだ学びのつながりや、科目を横断する視点が求められます。
 ぜひ、小学1年から該当学年までの検定教科書を全て買って、文部科学省発行の教育指導要領を読み込んで思考プロセスを把握して、教え方を理解してください。
 …なんて言いません。無理なものは外注しましょう笑

 でも、あなたの塾がそのスキルを持っていますか?もちろん、できないことはないでしょう。でも、それを一人一人に完全にオーダーメイドしてくれるのには限界があります。

科目横断的な教育スキルと、本質を突く分析力が必要

 中学受験を経験しても、大学受験を経験していても、「問題は解けます」「問題の解き方は教えられます」というのは、「凡ミス」という難敵の傾向を把握分析してその根本治療をするには程遠い、というかそもそも求めているものが全く違うでしょう。

 また、プロと呼ばれる家庭教師であっても、「この科目なら教えられます」、この学年(受験種別)に限定します、など、表面的な技巧に走る方が多いです。もちろんそれはそれで必要ですし、大変重要なものではあります。しかし、「凡ミス」の改善には、もっと広い視野と深い分析が必要です。

だから、「もとのり先生」に

 …と宣伝するのは好きではないのですが、本当に「そのこと」で困っている、悩んでいるなんてもったいない。だったらとっとと解決しましょう。というのが私のスタンスです。

 長期目線で、しっかり根本から、基礎から、徹底的に、とのスタンスでこそ、「20歳の君に責任を持つ」ことができるものです。

 ただ、最後に一言。「凡ミス」は一つ潰すと、今度はその次のレベルの「凡ミス」が出てきます。
 凡ミス潰し一つでも、ものによっては数カ月以上かかるのが当たり前ですし、その次のレベルの「凡ミス」が生じるまで何もしない、という前提での「対症療法だけの要求」には応じかねます。
 それは、「凡ミス」の種類がちがうことを理解しえない、理解できたとしても「学力」なるものが点数で評価されてしまう以上、「またダメだ…」となってしまうのが子どもの真理だからです。
 「ミスを攻略したのにまたダメだ」となるくらいなら、最初から何も「攻略しない」ほうが自己肯定感のジェットコースターに巻き込まれずに済みます。

 突き放すようですが、「知らないほうがなんとかなる(ように思える)」こともあります。その是非は置いておいて、「対症療法」をするくらいなら何もしないという選択肢もある、というのが凡ミスへの「正しい対処」の一つであることもまた真実です。

長文おつきあいありがとうございました。